フランスの画家でシュルレアリスム運動に参加していた画家の一人ですが、画家としての長い人生の中でシュルレアリスムで活躍したのは12年ほどと短く、オートマティスムという主題も構図もまったく無い、単純な身振りから生まれる線が有機的なイメージとして描く作品を多く制作しています。
その際にマッソンは空腹や不眠状態など自らにストレスを課した状態で作品を手掛けており、極限の状態になることで理性などから解放され、より無意識的なものを表現できると考えていたようです。
フランスで生まれベルギーで育ったマッソンはパリとブリュッセルの美術学校で学びました。
マッソンといえば「破壊的」「否定的」など負の要素が見られる作品が多く「エロスとタナトスの融合」「神話的暴力の表象」などと評されている事が多いのですが、初期の作品にはキュビズムの影響を受けたものがあり、一人の作家から生み出されたものとは思えないのもマッソンの魅力の一つです。
第一次世界大戦では徴兵され重傷を負った事をのちに作品として描き残しており、第二次世界大戦ではナチスの影響下にあったヴィシー政権のもとではマッソンの作品が退廃芸術と見なされ非難の対象になるなど大戦では苦い思いをしています。
第二次世界大戦中はナチスの迫害から逃れるためにヴァリアン・フライの援助により、ニューヨークに渡航しています。
しかし、その際に所持していたマッソンの作品はエロティックなものであたため税関当局に没収され、目の前で引き裂かれた事もあり、芸術としてなかなか受け入れられませんでした。
アメリカ滞在中はジャクソン・ポロックなどの抽象表現主義の作品に触れ、終戦後フランスに戻った際にはプロヴァンス地方に移住し、風景画を多く残すようになりました。