フランスで活躍した画家で、少年時代に両足の大腿骨骨折しているため、骨の発達が停止し、成人した時の身長はとても小柄でした。
しかし、この骨の発達の停止は骨折が原因ではなく、骨粗鬆症や骨形成不全症といった遺伝子疾患ではないかと考えられています。
絵の才能とその姿から「小さな怪物」「偉大なる芸術家」などと呼ばれていました。
また、ロートレックの生家はフランスの名家であり伯爵家でした。
そのため父親はロートレックが障害者となってから彼を蔑み、金品は与えたが彼の描く絵を決して認めなかったそうです。
幼い頃のロートレックは「小さな宝石」と呼ばれ家中の人々から可愛がられて育ちました。
しかし、弟が亡くなると両親が不仲となり、8歳の時には母親と共にパリで暮らすようになります。
ロートレックが絵を描き始めるようになるのはこの頃からで、その絵を見た母親が才能を見出し、父親の友人の画家から本格的に絵画を学ぶようになります。
その後、身体障害者として差別を受けていたこともあってか、娼婦、踊り子など夜の世界で活躍する女性に共感を持つようになり、多くの作品を手掛けるようになります。
特にダンスホール「ムーラン・ルージュ」のポスターなどを手掛けており、ポスターを芸術の域まで高めた功績は美術史でも特筆されるべき画家として評価を受けています。
また、ポスターやリトグラフは日本美術から強い影響を受けており、自身のイニシャルを漢字のようにアレンジしたサインを用いた作品も残されています。