岡山県出身の日本の洋画家で、妻は日本画家、陶芸家の有元容子です。
生家は東京で手広く貸家業を営んでいましたが、戦災でそのほとんどが焼失してしまい、もっと手堅い商売をしようと考え、文具店を始めました。
幼少期から画材道具に不自由する事がなかったので絵を描くのが大好きな少年に育ち、やがて画家になる事を志し、東京藝術大学美術学部デザイン科に四浪して入学します。
在学中に渡欧し、イタリアのフレスコ画に強く感銘を受け、フレスコ画と日本の仏画に共通点を見出し、岩絵具を用いることを決心します。
イタリアルネッサンス期のジョット・ピエロ・デラ・フランチェスカや、日本の古仏、「平家納経」などを敬愛し、それら「古典」や「様式」のもつ力強さに惹かれ、大きく影響を受け制作された卒業制作には「私のとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」という10点連作という大作で、大学買い上げとなりました。
卒業後は電通でデザイナーとして働く傍ら、自分の好きな絵を描いて展覧会に出品、受賞を重ね、のちに個展を開催するようになります。
しかし、デザインの仕事も絵を描くことも「物つくり」として自分が納得いくまで没頭することに次第に限界を感じ、デザイナーを辞めて、画業に専念するようになります。
こうして生まれた作品である「花降る日」で安井賞特別賞を、「室内楽」で第24回安井賞を受賞するなど画家としての頭角を現します。
また、「室内楽」は東京国立近代美術館に収蔵される事となり、画家として高く評価されました。
有元利夫の作品は女神を思わせる人物像をモチーフとした作品がほとんどで、雲、花弁、トランプ、カーテンなどのモチーフを彩る素材として好み、油彩画でも日本画でもない「いい絵」を描くために、岩絵の具や箔を用いた独自の技法で風化を意識した絵肌を生み出し、独特の美しさと世界観を持った作品となり、現在でもその魅力が衰えることなく今日まで愛され続けています。