1856年 佐倉藩の江戸屋敷で生まれる
1864年 黒沼槐山に師事する
1867年 藩の小学校を卒業する
1868年 書を平林晩香に学び、将門校の授読佐となる
1869年 藩の大学「温故堂」で学ぶ
1872年 上京し、大河内某 英学塾・箕作塾に英語を学ぶ
1874年 成島柳北に漢学を学ぶ
1875年 彰技堂で国沢新九郎の指導のもと油絵を学ぶ
1876年 工部美術学校に入学し、西洋画を学び、アントニオ・フォンタネージの薫陶を受ける
1878年 工部美術学校を退学し、同志と十一字会を結成する
1879年 東京師範学校教員となる
1881年 東京師範学校を退官する
1885年 柳源吉と共著「小学習画帖」を出版する
1887年 東京府工芸品共進会で妙技2等賞を受賞する
柳源吉と共著「A Pictorial Museum Japanese Manners and Customs」を出版する
1889年 明治美術会を設立する
明治美術会評議員となる
1892年 明治美術会第4回展に出品する
1893年 明治美術会第5回展に出品する
1894年 「新撰小学画手本」を出版する
1898年 東京美術学校の教授となる
1900年 西洋画の研究のためにフランスへ留学する
1902年 帰国後、京都高等工芸学校教授となる
聖護院洋画研究所を設立する
1907年 急性心不全のため、軽井沢病院で逝去
1856年 佐倉藩の江戸屋敷で生まれる
1864年 黒沼槐山に師事する
1867年 藩の小学校を卒業する
1868年 書を平林晩香に学び、将門校の授読佐となる
1869年 藩の大学「温故堂」で学ぶ
1872年 上京し、大河内某 英学塾・箕作塾に英語を学ぶ
1874年 成島柳北に漢学を学ぶ
1875年 彰技堂で国沢新九郎の指導のもと油絵を学ぶ
1876年 工部美術学校に入学し、西洋画を学び、アントニオ・フォンタネージの薫陶を受ける
1878年 工部美術学校を退学し、同志と十一字会を結成する
1879年 東京師範学校教員となる
1881年 東京師範学校を退官する
1885年 柳源吉と共著「小学習画帖」を出版する
1887年 東京府工芸品共進会で妙技2等賞を受賞する
00000年柳源吉と共著「A Pictorial Museum Japanese Manners and Customs」を出版する
1889年 明治美術会を設立する
00000年明治美術会評議員となる
1892年 明治美術会第4回展に出品する
1893年 明治美術会第5回展に出品する
1894年 「新撰小学画手本」を出版する
1898年 東京美術学校の教授となる
1900年 西洋画の研究のためにフランスへ留学する
1902年 帰国後、京都高等工芸学校教授となる
00000年聖護院洋画研究所を設立する
1907年 急性心不全のため、軽井沢病院で逝去