神奈川県出身の日本の洋画家、小説家です。
大蔵省関税局長兼横浜税関長をしていた有島武の次男として生まれました。
そのため、幼い頃から吉田清成、吉原重俊、山尾庸三、園田孝吉らといった官僚の子供たちと親しく交流していました。
本名は壬生馬(みぶま)といい、号を雨東生、十月亭と称しました。
兄に小説家の有島武郎(たけお)と弟に小説家・里見弴(とん)がいます。
甥には武郎の実子である俳優の森雅之がおり、武郎が心中した後は彼の親代わりとなって育てました。
また、妻の信子は政治家・原田熊雄の妹です。
初等科六年から学習院に通うようになり、志賀直哉と知り合い親友となります。
のちに志賀直哉や児島喜久雄と共に文芸美術雑誌「白樺」の創刊に参加し、有島生馬の代表作となる「蝙蝠の如く」を描いています。
しかし、女性問題から志賀直哉と疎隔が生まれ、敗戦後には「蝕まれた友情」を書いて絶交しています。
この事からも小説家としても活躍していた事が伺えます。
満17歳の時に胸膜炎を患い、休学し、父の故郷・鹿児島県川内で静養中に日本のカトリック僧と出逢った事がきっかけでイタリアの芸術に魅かれるようになり、東京外国語学校伊太利語科に入学し直しました。
洋画家・藤島武二のもとに入門し、イタリアに留学して絵画の勉強に励み、ヨーロッパ諸国を歩いて様々な西洋芸術について学びました。
帰国後、セザンヌなどのフランスの印象派を日本にいち早く紹介し、南薫造と共に出展・開催した白樺社第一回目の滞欧記念絵画展覧会によって、写実を基本とした穏やかな作風で日本近代絵画史上に名を残しました。