岡山県出身の明治時代から昭和時代にかけて活躍した洋画家です。
幼い頃に家族揃って大阪へ移住し、洋画家の山内愚僊の内弟子となり油彩画を始めました。
その後、本格的に油彩画を学ぶため東京美術学校へ入学し、黒田清輝に師事しました。
黒田清輝は美術教育者、政治家として活躍し、印象派の影響を受けた外光派と呼ばれる作風を確立し、白馬会を発足させた事で知られています。
外光派とは戸外の明るい光や色彩効果を考えて描かれた作品が特徴で、その全てを戸外で描く考え方で、赤松麟作の作品も外光派の作風が見られ、23歳という若さで白馬会に出品し、白馬賞を受けた事で有名となります。
東京美術学校を卒業後は三重県の中学校の教師をつとめ、朝日新聞社に挿絵記者として入社し、活躍する傍らで文展に作品を出品しています。
また、大阪梅田に赤松洋画塾を開設し、戦後は大阪市立美術研究所で教鞭をとり、多くの後進を育てた事でも知られています。
その門下には佐伯祐三など著名な画家の名前があります。
また、油彩画以外にも多彩な才能を発揮しており、木版画やペン画、水彩画なども残しており、レトロ感を感じる作風が今でも高い人気を誇っています。