秋田県出身の大正~昭和時代に活躍した日本画家です。
本名は豊城といいます。
息子は俳優の福田豊土です。
実家は薬店を営んでいましたが、兄の影響で美術や文学に興味を持ち、15歳の時、京都に出て土田麦僊に絵を学び、東京に移ってからは川端龍子に師事しました。
国画創作協会や青龍社展に出品をしていましたが、第14回帝展に出品すると、青龍社から除名されてしまい、それをきっかけに吉岡賢二らと新美術人協会を設立し、解散後に新しく創作美術協会を結成し、新日本画を志す有力団体として活動し、新聞や小説の挿絵なども手掛けています。
大正から昭和にかけて「世界性に立脚した日本画の創造」をスローガンに、日本画に新風を吹き込むべく、旺盛な作家活動をし、一貫して郷里である秋田をテーマに描き続け多くの作品を残しました。
また、従軍画家として中国北部中部、北ボルネオに赴いており、軍事画を残しています。