神奈川県出身の大正~昭和時代に活躍した日本の版画家、洋画家です。
銀行家の長男として生まれ裕福な家庭に育ち、小学校の頃から父より論語、素読、書、日本画を教わり育ちました。
体が弱く、勤めに出るのは難しいと医者に言われ幼い頃から慣れ親しんだ美術の道に進む事を決意し、葵橋洋画研究所や本郷洋画研究所で油彩を学び、バーナード・リーチからエッチング技法の指導を受けました。
フランスへ渡り様々な銅版画の技法を学び、メゾチントと呼ばれる古い版画技法を復活させ、独自の様式として確立させ、ケヴィルという摺師と一緒に制作を行っていました。
ケヴィルを深く信頼していた長谷川は彼が亡くなると「横顔」という作品を最後に活動を止めてしまいました。
また、インクや紙に強いこだわりを持っており、特にインクに関しては顔料や油の調合方法に細心の注意を払っていたり、「黒には7色の色がある」と語っており、黒の版画家と呼ばれていました。
フランスへ渡ってからは一度も帰国せず、フランスの国立貨幣・賞牌鋳造局からメダルが発行され日本人としては葛飾北斎、藤田嗣治に次いで三人目という快挙を成し遂げました。
版画を中心に作品を残していますが、水彩や油彩などの作品も制作しています。