ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌは19世紀フランスを代表する壁画家として知られており、フランスの主要建造物に壁画装飾を手掛けています。
壁画の他にも絵画でも才能を発揮しており、数々の名作も残しています。
ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌはフランス南東部にあるリヨンで織物業の名門の家に生まれました。
当初は父親の背中を追い、同じ職人になる予定でしたが病気の為に勉学を断念する事になりました。
22歳の時に病気療養の目的でイタリアを訪れた際に画家を目指す決意をし、ロマン派の巨匠ウジェーヌ・ドロクロワやエドゥワール・マネも師事していた歴史画家のトマ・クチュールに師事しています。
その後、会計監査院の壁画装飾を完成させたテオドール・シャセリオーに影響を受け、兄の邸宅に自身初となる壁画装飾を制作しました。
それから壁画がサロンに入選すると頭角を現し始め、ドロクロワからシャセリオーへ受け継がれてきた公共建築の壁画装飾をピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌが引き継いでいくようになりました。
ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌはイタリア旅行の際に生乾きの壁面に直接書くフレスコと呼ばれ技法に影響を受けました。
それからの作品は古典文学や神話を題材にしており、フレスコをイメージしてしまう艶消しの色調で、中間色を多く使い遠近感や立体感を抑えた幻想的で静けさを感じる作風となっています。
その後普仏戦争やパリコミューンの影響でパリが荒廃すると、常に平和を願っていたピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌはスイッチが入ったのか伝統的な題材から離れ、より独創的な夢の世界を描いた作風へと発展していきました。
パンテオン、ピカルディ美術館、リヨン美術館など多くの壁画装飾をこなし、名実ともにフランスを代表する芸術家となっていきました。
ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの作品は象徴主義の先駆者的な位置となり、印象派以降のフィンセント・ファン・ゴッホやジョルジュ・スーラなど前衛画家達にも大きな影響を与えています。
また日本の近代洋画確立した黒田清輝が助言を求める為にピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの元を訪れ帰国後、日本近代洋画にも大きな影響を与えています。