ポール・セザンヌはフランスの画家です。
当初はクロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワールらと印象派の一員でしたが後にグループを離れ、伝統的な様式から脱却し独自の洋式を追究し、キュビズムをはじめ20世紀の美術に大きな影響を与えたことで近代絵画の父といわれています。
ポール・セザンヌは南フランスのエクスで裕福な商人の父の下に生まれ、恵まれた環境で育ちました。
父親はとても厳しく、セザンヌはいつもビクビクしていたと言われています。
10代の頃に絵画教室に通い、パリに住みたいと思うがなかなか父に言い出せずいましたが思い切って両親に頼み、2年間説得し続けた後にパリに移り住むことが出来ました。
半年で精神不安定になりエクスに戻りますが再度パリに戻り、本格的に画家として活動しています。
その頃のパリには印象派の画家達が多く集まっており、セザンヌもそのメンバーの1人ではありましたが、臆病で人付き合いが苦手だったためになかなか馴染めませんでした。
その中でピサロとは仲が良くなり絵画の技法を教わっていたといわれています。
この頃のセザンヌの作品からは不安感や臆病な性格が伝わって来るといわれています。
後にセザンヌの作風がガラリと変化しています。
それはオルタンス・フィケという女性と知り合ったのが理由だとされています。
後にセザンヌはオルタンスと結婚し子供を授かっています。
印象派から抜けて独自の洋式を確立しようと研究を続けますがなかなか認められず、数々の美術展での入選はたったの一度だったといわれています。
セザンヌはほぼ無名でしたが晩年にパリで開かれた画商の個展がきっかけとなり、ようやく名前が知られるようになりました。
しかし故郷のエクスに戻ると、肺炎をこじらせそのまま亡くなってしまいます。
セザンヌの作り出した独自の洋式である幾何学的要素の含まれた作品は没した後に更に影響力を高め、ピカソなどにも影響を与えています。