パブロ・ピカソは世界的に有名な画家として知られていますが、絵画の他にも彫刻や陶器なども制作しています。
また非常に多作な芸術家としてギネス・ワールド・レコードにも登録されています。
パブロ・ピカソはスペイン南部の異国情緒あふれるマラガで生まれ、本名はパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウロ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアノ・デ・ラ・サンティッシマ・トリニダードといいます。
この名前の長さは家柄が古く、由緒正しいことが示されており、アンダルシア地方の伝統で長い名前ほど幸福が宿るという言い伝えがあります。
パブロ・ピカソは幼い頃、病弱で学業に専念する事は叶いませんでしたが絵は上手でデッサン、水彩画、油絵も多く描いていました。
8歳の時に描いたリンゴの絵を見た画家である父親は、あまりのすごさに絵を描くのを辞めたともいわれています。
その後、本格的に美術を学ぶためにバルセロナに移住し、美術学校に通いますが数年で中退した後にパリに渡りパリ中の美術館をまわり、印象派の画家たちの作品に大きな影響を受けます。
パブロ・ピカソは作風が激しく変化した作家として知られており、作風が変化した時期によって「○○の時代」と分けて呼ばれています。
パリに渡り、友人の自殺によってピカソがブルーになっていた頃の作品は、キャンパス全体が青みがかっている事から「青の時代」と呼ばれています。
その後、恋人でモデルでもある1人の女性によって作品が青の世界から、鮮やかな色彩に変化している「バラ色の時代」、アフリカ彫刻の対象物を単純化する事に影響を受けた「アフリカ彫刻の時代」、そして「キュビズム時代」があり、これは更に「セザンヌ的キュビズム時代」、「分析的キュビズム時代」、「総合的キュビズム時代」の3つに分けられています。
次に「新古典主義の時代」から「シュルレアリスムの時代」を経て晩年の作品は、クレヨンなど多くの画材を使用した激しい作風へとなります。
後にパブロ・ピカソは銅版画を多く制作するようになりますが批判も多かったそうです。
しかし、やっと自分の作りたい作品が作れると悪評を気に留める事はなかったそうです。
多くの作品、多くの作風で人々を楽しませ、驚かせた芸術家ですが92歳と長寿であり、非常に多くの作品を残しました。