パーヴェル・フィローノフはロシアの画家で、国外ではあまり知られてはいませんが国内では良く知られています。
独自の作風はロシア好きの方は夢中になってしまい、研究者よりも崇拝者を生み出すといわれています。
パーヴェル・フィローノフはモスクワに生まれ、青年になる前に両親を失い、ペテルブルクの姉の元に移住し、そこを活動拠点に置きました。
アカデミー会員のレフ・ドミートリエフ・カフカスキーの画塾に通った後に美術アカデミーに通いますが2年後にはアカデミーを追われる事になります。
しかし頭角を現し始めていたパーヴェル・フィローノフはロシア未来派の青年同盟に参加し展覧会にも参加しています。
パーヴェル・フィローノフは絵画のみではなく舞台装置を手掛けたり、マニフェストの出版など独自の絵画理論を研究するようになると分析主義と呼ばれるようになります。
キュビズムのメカニズムに対し、オルガニズムと呼ばれる創作原理を打ち立てました。
パーヴェル・フィローノフの作品は具象とも抽象とも呼べず、立体未来派の詩人アレクセイ・クルチョーヌィフは「不可視のものを観る者」と呼んでいます。
また、作者が何を描いているかが何となく理解できるパーヴェル・フィローノフの作品は、過去、現在、未来と瞬間と永遠の間で激しい運動を感じるといわれています。
その他にも美的な統制を失いつつも、なんとか全体が保たれている緊張感は、類い稀だといわれています。
近年ではパーヴェル・フィローノフはロシア・アヴァンギャルド美術の代表的美術家としても評価されています。
パーヴェル・フィローノフは58歳という若さでこの世を去っていますが、作品が最近になって国外にも知られるようになった理由の一つに、生前、自身の作品の多くを手放さなかったためだといわれています。
また、パーヴェル・フィローノフが創作活動を行っていた建物は現在幼稚園になっています。