フランソワ・ブーシェはフランスの画家でロココ様式を代表する画家として知られており、官能性や装飾性が豊かな作品は当時の権力者から絶大な支持を得ていました。
フランソワ・ブーシェはパリで生まれ、装飾家の父から絵の手ほどきを受け、後に本格的な絵画を学ぶために歴史画家のフランソワ・ルモワーヌのもとを訪ね、その3年後にローマ賞を受賞しています。
ローマ賞を受賞したフランソワ・ブーシェでしたが国から経済支援を受けられず、収集家の援助を受けイタリアへ留学しています。
イタリアでの活動の詳細は不明となっていますが、イタリアの古典芸術を学んだとされており、この頃の作風はフランドル派の様式だったといわれています。
イタリア滞在後は王立絵画彫刻アカデミーに認められ、正会員となった後にアカデミーの教授に就任しています。
アカデミーの教授に就任以降はヴェルサイユの宮殿内の王妃の間や大蔵卿庁舎、王の居室などの装飾に携わるなどしています。
流行画家の1人となり国王の愛妾であるポンパドゥール夫人の肖像画を描く事や、王家の建築物の装飾や陶磁器の制作、舞台、出版事業、衣装デザインなど多くの事業に積極的に参加し、宮廷首席画家やアカデミーの会長に就任しています。
しかし残念ながらアカデミー会長に就任してから3年後にパリでこの世を去ります。
フランソワ・ブーシェの作品は裸婦、神話画、肖像画、貴族の生活を描いた風俗画を華やかな色彩、軽快なタッチで装飾的な画面構成で描き、現実を越えた理想化された姿で時代背景を表現する事で知られています。
印象派の巨匠といわれているピエール=オーギュスト・ルノワールにも大きな影響を与えている他、ロココ様式を代表する画家のジャン・オレノ・フラゴナールも弟子として育てています。