ベルト・モリゾはフランスの印象派を代表する画家で、印象派随一の女流画家としても重要視されています。
男性画家の目線では表せない家族や家庭など、独自のテーマで活動していました。
ベルト・モリゾはフランスのブールジュという都市でブールジュ市長とロココ美術の巨匠フラゴナールの親戚にあたる母との間に生まれました。
ブールジュという町はフランスで最も美しい街の1つで、侵攻してきたローマ軍の英雄ユリウス・カエサルに「強い街」と言わせた事でも知られています。
美しい街、上流階級の家庭で育ち、感性豊かなベルト・モリゾは両親の勧めもあったことから絵を始めると瞬く間に才能を開花させていきました。
ベルト・モリゾはルーブル美術館にある巨匠達の作品に影響を受けた後にパリを訪れ、バルビゾン派のジャン=バティスト・カミーユ・コローに師事し、戸外で制作活動をしています。
サロンに出品し初入選後にルーブル美術館で模写をしている最中にエドゥアール・マネと出会い、マネに師事すると同時にマネのモデルも務めるようになります。
ベルト・モリゾは当初、コローの影響を受けた風景画を制作していましたが、マネに影響を受け人物画を描き始め、33歳の時に第一回印象派展に参加すると出品を重ね、名声を高めていきます。
ベルト・モリゾは師であるマネの他にも、交友を重ねていた印象派のピエール=オーギュスト・ルノワール、クロード・モネ、カミーユ・ピサロ、フレデリック・バジールや美術批評家などの影響を受け独自の様式を完成させます。
その様式は師であるマネの作風にも影響を与えたといわれています。
ベルト・モリゾの作品は主に上流階級の女性が描かれており、その時代の上流階級の女性達のおかれていた孤独と憂愁の影を感じます。
男性画家の描いた女性像は少なからずとも男性がイメージを膨らませた雰囲気を感じますが、女流画家であるベルト・モリゾの描いた女性像は真の女性を感じる事が出来ます。
ベルト・モリゾは師であるマネと恋仲であると噂になった事もありますが、後にマネの弟と結婚しています。
結婚後は美しく、ベルト・モリゾのモデルも務めた娘のジュリーが生まれ、より制作に励んだといわれています。
しかし娘のジュリーから感染した風邪をこじらせ肺炎となり54歳という若さで亡くなってしまいます。
ちなみに当時、上流階級の女性が画家になる事はご法度だったのか、ベルト・モリゾの死亡証明書は無職となっています。