富山県出身の昭和時代後期に活躍した日本の洋画家です。
旧制富山高校の美術部に所属し、主に写実的な絵を描いていました。
卒業後、東京帝国大学に入学し、経済学を学ぶ傍ら、油絵制作にも打ち込み、猪熊弦一郎が主催していた純粋美術研究所に入塾し、ここから生涯主に描いた青い色を基調に特徴的な輪郭線の青を追及したほとんど人物がみられない静物画を描くようになります。
25歳の時に経済学の勉強の為に渡仏しますが、留学先のソルボンヌ大学では翻訳をする傍ら、油絵制作に専念し、アンデパンダン展という展覧会に出品したり、フランス国に作品が買い上げられたり、具象画(そのまま描かれた絵)と抽象画の間で揺れ動きつつ、その微妙な混じり具合が高く評価され、若手画家として、名が知れてきた矢先、結核にかかり、その生涯を33歳という若さで終えました。
また、金山の絵は「人間を感じさせない」と言われていますが、住んでいる部屋のドアごしに人の気配が感じられると、その人の足音や声が通り過ぎるまで自身の息も殺してやり過ごすくらい人付き合いが苦手だった為だと言われています。