兵庫県出身の日本画家で、風景画を得意としていたため、多くの風景画が残されています。
作品タイトルには場所を特定できる言葉は入れておらず、霧やモヤでかすむ向こう側を目を凝らして見る事で風景がじわじわと立ち上がってくるという幻想的で不思議な表現方法が特徴です。
この画法を用いていたのは、全てを描ききらずに余韻を残す事で何を描いているのか、何を描こうとしたのかを見る人の解釈の余韻を残しておく事を大切としていたからでした。
川端龍子の青龍社に所属し、青龍社展及び春季青龍社展で入選を重ね活躍した事でその名が有名となった河本正は、主宰者であった川端龍子が亡くなるまで青龍社を作品の発表の場としました。
川端龍子が亡くなり青龍社が解散となると活躍の場を日本画壇の巨匠・児玉三鈴らによって設立された日府展に移し活躍を続け、副理事長をつとめるまでになりました。
その後も愛知県名古屋市に在住し、日本画家として精力的に活動を行いました。
そのため、愛知県美術館に河本正の作品が収蔵され、朝日チャリティー美術展・第61回名古屋展では、遺族より作品4点が寄贈されるなど、名古屋との深い繋がりが今でも続いています。