大分県出身の明治~昭和時代前期に活躍した日本の洋画家です。
8人兄弟の5男として生まれました。
東京美術学校在学中に文展で初入選をした後、連続して褒状や特選を受賞し、早くから注目されました。
その後、帝展で審査員を歴任し、新光洋画会など結成に参加し、各展覧会に作品を発表しました。
当初は、フランスの古典的写実描写に印象派風の明るい色彩を加味した作品など当時の洋画描法の主流的な画風を展開していましたが、次第に東洋的で南画的な表現方法を用いるようになり、密度の高い写実的作品を描くようになりました。
晩年はお酒を飲む量が増え、体調を崩し入退院を繰り返していましたが、幻覚症状を呈するようになり44歳という若さで自ら命を絶ってしまいました。
そのため、「自分を追い込んで作品を描く画家」「破滅型の画家」と呼ぶ人も少なくありません。
画家・曾宮一念は、片多徳郎が酒を飲まないで描く作品は常識的でつまらない作品だが、酒が入ると大胆に酔うので、このときはすばらしい作品ができたと言っています。