北海道出身の大正~昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
漁業を営む木田家の6人兄弟の次男として生まれました。
上京して京北中学校に通い、この頃より絵に興味を持ち始め、上野の文展などに足を運んだりしていました。
しかし、家業を手伝う為、故郷に戻る事を余儀なくされ中退する事になりました。
故郷・岩内へ戻る途中、札幌で開かれていた東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)の「黒百合会」第3回展に立ち寄り、有島武郎の描いた「たそがれの海」を見て深く感銘を受けました。
その数日後、ありったけの自分の描いた絵を抱え、有島の家を訪ねました。
初めは好印象を持っていなかった有島でしたが、木田の絵を見た途端、「個性的な見方をしている」と関心し、以後、交流が続き、有島の「生れ出(いず)る悩み」の主人公のモデルになりました。
故郷・岩内に戻った木田は家業の漁師を続けながらも画家としての道をあきらめる事ができきませんでした。
有島に「東京へ出て何か適当な仕事をしながら絵の勉強をしたいので、職を探してほしい」と頼みましたが、岩内のとどまりこの地のすばらしい自然と、温かい人柄を描きなさいとアドバイスを受け、岩内にとどまる事を決意しました。
有島が心中という形でこの世から去ってしまうと、家業を捨て画家として生きる事を決めました。
また、北海道美術展の発足にそれぞれ参加しましたが、いずれも一度も出品することなく退会し、生涯を北海道とその自然の美しさを愛し、自由な制作に没頭した画家として活躍しました。