東京都出身の大正~昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
一貫して婦人像を描き続け、穏健な写実派の作家として知られており、戦後は一連のバレリーナの作品によって注目されました。
婦人像のすべてが都会の洗練された若い女性をモデルとしたもので、明快単純な色調と優れた描写力の独自の作風が特徴です。
婦人像やバレリーナを題材にした作品の他にもバラなどの花を題材にした作品も多く残しています。
木下孝則が画家を志そうと思ったきっかけは西洋美術史家の児島喜久雄の影響が大きく、児島喜久雄は母方の叔父でした。
京都大学法科、東京帝国大学文科で学ぶエリートでしたが、画家になる道をあきらめきれず、大学を退学し、小島善太郎、林倭衛、佐伯祐三らと交友した事から油彩画を描き始めるようになりました。
二科展や春陽会会員として活躍しますが、のちに春陽会を退会しています。
フランスへ留学した経験を持ち、フランスではエコール・ド・パリの雰囲気のなかで20世紀の反自然主義的な近代絵画の洗礼を受け、帰国後は小島善太郎らと一九三〇年協会を結成します。
一九三〇年協会はエコール・ドパリの雰囲気の中で修行した画家たちで結成され、フォービスムを基調とする清新な運動を展開した美術団体でした。
戦後は一水会、日展を作品の主な発表の場とし、実に多くの作品を発表していきました。