愛知県出身の昭和~平成時代に活躍する日本の洋画家です。
小さい頃に両親の喧嘩が絶えず、それが嫌でスケッチブックを持って外へ出掛ける事が多くありました。
そして20歳の時に家族の反対を押し切って絵描きになる為に上京しました。
「あの夫婦喧嘩がなかったら絵描きにはなっていなかった」と言うほど両親の喧嘩は影響があったそうです。
武蔵野美術学校第二本科西洋画科へ入学し、立体研究の為に美術科彫刻専攻に編入します。
卒業後、パリ国立高等美術学校に招待研究生として留学し、ルーブル美術館でジョットの絵画に衝撃を受け、テンペラ技法による模写に没頭し画技を磨きました。
武蔵野美術大学では教員として着任して以来、35年間にわたり教鞭をとり、後進の教育に尽力しており、画家としても多くの展覧会に出品し、数々の賞を受賞しています。
久野の作品の多くは、何気ない日常の見慣れた風景であり、対象の発する「描いて」という声を聞き、対象の発する周波数と自信の周波数が呼応すると作品として描こうと思う動機になるそうです。