山口県出身の日本の洋画家で、油彩画以外にも版画や水彩画の作品も数多く残している事で知られています。
その中でも版画はリトグラフの制作依頼を受けた事で手掛けるようになったもので、木版画にいたっては玩具の制作を行う延長線上で人から勧められた事がきっかけだったそうです。
また、製作活動のほとんどを自宅で行っていました。
開業医の息子として生まれた香月泰男ですが、幼い頃に両親が離婚し、厳格な祖父に育てられました。
画家になろうと思ったのは小学校の頃からで、上京し、川端画学校で絵画の基礎を学び、東京美術学校を卒業後は美術教師として働きながら制作を続け、いつしか東京で毎年個展を開催するほどの人気を得ました。
しかし、太平洋戦争により召集を受ける事となりますが、敗戦後、ソ連のシベリアに抑留され強制労働を強いられ、制作活動は一時中断となります。
この時のシベリアでの体験は、木炭や方解末(天然岩絵具)を混ぜた油絵具を塗り重ねていく独特の手法を用いた「シベリアシリーズ」として、帰国後に57点もの作品を生み出しました。
黒を基調とした象徴的な作品の一つ一つがシベリアでの鮮烈な記憶、体験を物語っており、見る者を魅了する作品となっています。
その一方で故郷の風景や台所など身近なものをテーマにした写実的な作品も残しており、この作品たちは「シベリアシリーズ」とは違った雰囲気を携えており、香月泰男のもう一つの一面を見る事ができます。
また、晩年では針金や空き缶などを再利用して制作した子供のためのおもちゃのようなものの制作も熱心に行っており、こちらの作品も高い人気を誇っています。