大正~昭和時代に活躍した日本画家です。
広島県安佐郡飯室村(現・広島市安佐北区)で農業および太田川で船宿を営む家に生まれました。
妻は洋画家の丸木俊(赤松俊子)で、妹は画家で絵本作家の大道あやです。
上京して南画家・田中頼章に学びますが、関東大震災の為、一時帰省して独学で画技を習得します。
再び上京し、青龍社展などで活躍していました。
広島に原爆が投下されたと聞き、実家の家族の安否を気遣い、妻と共に広島に赴き救援活動に従事します。
この体験を元に妻との共作「原爆の図」「絵本・ピカドン」を発表しました。
原爆の図は、はじめは1部作だけ、その後は3部作だけと考えていましたが今では15部作という大作となり、夫婦で32年間「原爆」を描き続けました。
ピカドンは原爆をテーマにした作品で、初版本は当時の政治的事情により発行禁止処分となり、その際に原画も押収されてしまいました。
現在では妻・俊によって「ひろしまのピカ」として改作され、初版本を元にした復刻版も何種か刊行されています。
作風としては、新しい日本画の創造を目指して抽象的な作品を展開していましたが、戦後は黒を基調とした具象的な画風で「原爆」や、「沖縄」、「虐殺」など戦争を題材にした作品を制作し平和や戦争反対を訴える社会的な作品を展開しました。
53年には国際平和文化賞金賞などを受賞し世界各国の展覧会や個展で発表しています。
また、原爆作品の他にも牛をモチーフにした作品も残しています。