兵庫県出身の昭和~平成時代に活躍した日本画家です。
その作風はモダンで幻想的な独特の筆使いで心に印象深く残る作品を描いており、そのほとんどが夜景をモチーフにした静けさの中に溶け込む自然を表現したものが多く見られます。
また、病弱であった事から、自分自身の人生を作品に投影したかのような作品も見られ、モチーフが廃坑や廃園など一見地味で陰鬱な印象が強いものでも、生命力に溢れた力強い作品として描き出しているのも正井和行の特徴です。
そんな正井和行は関西学院中学部を卒業すると本格的に絵画を学んで画家として生計をたてようと、京都市立絵画専門学校に入学しました。
確実に画家としての技術を習得していった正井和行ですが、更なる躍進を遂げるために京都市立絵画専門学校の研究科と福田平八郎にも師事し、多角度から絵画に対する意識を身につけ、独自の感覚を築きあげました。
しかし、病弱だったことが仇となり、厳しい制作活動によって無理が生じ、27歳の時に発病してしまいます。
この病は思ったよりも深刻なもので、筆を持ってキャンバスの前に立つ体力が維持できなくなり、静養も兼ねて大分へ移り、10年間の画家として活動を自粛する事になりました。
「画家として生計を立てたい」その思いを胸に辛い闘病生活にも耐え、病気を克服すると京都へ上京し、これまで我慢してきた思いを爆発させるかのように次々と作品を描くようになり、日展を中心に活躍しました。
特に京都と大分を往復する事が多く、琵琶湖を描いた作品を多く残している事でも知られています。
また、日常生活では、肉や魚など動物性食品を一切口にせず、もっぱら果物と菓子だけで生き伸びているような偏食傾向だった事や歌舞伎をこよなく愛していた事も知られています。