マウリッツ・エッシャーはオランダ出身の画家、版画家です。
ウッドカット、リトグラフ、メゾティントなどの技法で版画を制作していた事で知られています。
マウリッツ・エッシャーはオランダのレーワルデンで5人兄弟の末っ子として生まれています。
父は一等技師として来日した事もある土木技術者です。
マウリッツ・エッシャーはレーワルデンからライン川に沿った美しい街のアルンヘムに移り13歳まで土木建築、装飾美術を学んだ後に風景画をメインに制作していました。
その後旅行先のイタリアで出会ったイエッタ・ウミカーと結婚し子供が生まれるとローマに移住しています。
しかし長男がイタリア少年国粋党の制服着用を義務付けられた事と、次男のアーサーに結核の兆候が見つかったために、スイスに移住しています。
しかしマウリッツ・エッシャーはスイスの雪景色があまり好きではなかったようで、雪景色に関する作品は一枚しか制作していません。
その後マウリッツ・エッシャーは単調な雪景色に飽きて、南の海に憧れスペイン南部の船旅を計画し、実行しています。
しかしお金の無かったマウリッツ・エッシャーは乗船料金の代わりに旅の途中に制作する作品を受け取ってほしいと交渉して実現したといわれています。
マウリッツ・エッシャーは旅行先のスペインでモザイク装飾に感動し結晶学を学び、平面を同じ図形で埋める方法を研究し、愛好家向けに「平面の正則分割」を発表しています。
後にマウリッツ・エッシャーの作風でもある幾何学的趣向の強い作品を制作するようになっています。
また幾何学的要素と関係のなさそうな風景画の作品にも光の反射や水面の波紋などの物理的要素や幾何学的要素が多く含まれています。
マウリッツ・エッシャーの晩年は健康を損ない、入退院や手術を繰り返していました。
制作意欲は湧くものの、新しい作品を生み出せませんでした。
その後は養老院に入り、生涯最後の2年間を送り、73歳でこの世を去りました。