ミカロユス・チュルリョーニスはリトアニア人の画家で作曲家でもあります。
短い生涯の間に絵画300点、楽曲200点を残しています。
また絵画も作曲のどちらも一流だといわれています。
幻想的なミカロユス・チュルリョーニスの画風は、カンディンスキーにも影響を与えています。
ミカロユス・チュルリョーニスはリトアニアのヴァナレ付近にあるセノイ・ヴァナレという町の貧しい教会オルガニストの家庭で9人兄弟の長男として生まれました。
ミカロユス・チュルリョーニスが3歳くらいの頃、家族に連れられ沿岸部の保養地であるドルスキンカイに移っています。
9歳の頃に支援者を得ることで、ミハウ・クレオファス・オギンスキ音楽学校で学ぶことが出来ました。
その後、ワルシャワ音楽院に入学しています。
当初はピアノを学び、対位法や作曲をカロル・シマノフスキから学んでいます。
それからは、ワルシャワ音楽院を首席で卒業し、ライプツィ音楽院でゾロモン・ヤーダスゾーンに作曲を学んでいます。
ミカロユス・チュルリョーニスはその後、ワルシャワ美術学校で美術も学んでいます。
その翌年には第一回リトアニア美術展覧会を開催し、その一方でリトアニア民謡の発掘、編曲にも尽力しています。
その他にもリトアニア芸術同盟やリトアニア合唱教会などの芸術団体を発足させています。
その後、サンクトペテルブルクに移住し、画家のアレクサンドル・ベヌアらと親交を持ちます。
しかし経済的には失敗してしまいます。
後に作家のソフィア・キマンタイテ=チュルレネネと結婚しますが、精神的に参ってしまい療養所に入院しています。
闘病中も作品の制作をしていましたが、風邪をこじらせると肺炎となりわが子が生まれた事を知らずにこの世を去ってしまいました。