ミケランジェロ・メリージはバロック期に活躍したイタリア人画家です。
また肉体面、精神面の両面から人間本来の姿を写実的に描く作風と光と闇の画家としても知られています。
ミケランジェロ・メリージはミラノで三人兄弟の長男として生まれています。
その後、ペストが蔓延し荒廃していたミラノを離れ、幼少期をカラバッジョという村で過ごしています。
母親が亡くなると、ミラノの画家であるシモーネ・ペテルツァーノに師事した後に、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの作品やロンバルディア地方の絵画に親しんでいったといわれています。
それからのミケランジェロ・メリージは、大げさな表現に陥っていたローマ風のマニエリスム様式ではなく、飾らない表現をするドイツ自然主義様式に傾倒していきました。
その後ミケランジェロ・メリージは喧嘩で役人を負傷させたという事でミラノをほぼ無一文状態で慌てて逃げ出し、ローマに到着しています。
ローマではチューザリ工房で働くと、画家として技量が知られるようになります。
その後、チューザリ工房を解雇されると画家として生きていく事を決心します。
この頃にすでに成功していたプロスペロ・オルシらと出会っています。
オルシは影響力のある収集家をミケランジェロ・メリージに紹介しています。
「トランプ詐欺師」という作品が生まれるとミケランジェロ・メリージ最初の傑作となりますが、「トランプ詐欺師」より先に完成した「女占い師」より心理的描写がより優れているとされています。
この作品が認められるとローマ最高の美術鑑定家から後援を受ける事が出来ました。
その後、裕福な美術愛好家から多くの依頼が集まり、室内装飾用絵画を制作しています。
極端で優れた写実性と自然主義が合わさったミケランジェロ・メリージの作品は揺るぎない評価を得ています。
しかし評価される一方で裏社会の住人達からも喧嘩っ早いとの悪評もあり、事実、ミケランジェロ・メリージの行為が裁判記録などに数多く記されています。
その後、決闘で相手を死に至らしめた為にローマからナポリ、マルタ、シチリアなどに逃亡しています。
再びナポリに戻ると、恩赦が実現しローマに向かう途中に熱病でこの世を去りました。