モーリス・ユトリロは近代のフランスの画家です。
作品の多くは身近なパリの風景を描いており、独自の白を多用して表現されているのが特徴として知られており、白の画家とも呼ばれていました。
モーリス・ユトリロは、パリのモンマルトルで生まれ、8歳くらいの時に美術評論家のミゲル・ユトリロの養子となっています。
その後、母の住んでいたモンマニーで学校教育を受けた後にロラン・カレッジで学んでいます。
ちなみに母親は画家のシュザンヌ・ヴァラドンで、シュザンヌ・ヴァラドンは画家となる前はピエール=オーギュスト・ルノワールやアンリ・マリー・レイモン・ド・トゥルーズ=ロートレック=モンファ(ロートレックと呼ばれる事が多い)、エドガー・ドガなど著名な画家のモデルをつとめていた事でも有名です。
モーリス・ユトリロは18歳くらいの時に飲酒癖が強くなり、後にアルコール中毒で治療を受けており、治療の一環として母の薦めで絵を描いています。
当初は乗り気じゃなかったようですが、徐々にのめり込んでいき本格的に描くようになりました。
画家として活動していた母の影響を受けた作風からカミーユ・ピサロの影響を受けて印象派風の作風になった後に高く評価されている白の時代と呼ばれる作風になっています。
その後のブルターニュやコルシカを旅行し元気になりますが、モーリス・ユトリロは再び飲酒で精神を病み、入退院を繰り返しています。
その後、酒の為に心身を病んでいる最中に最初の個展を開催していますがこの時にも精神状態の安定しないモーリス・ユトリロは精神病院に入っています。
しかし不幸中の幸いか、この時に作風に変化が現れ、これは「色彩の時代」と呼ばれています。
晩年は裕福な未亡人と結婚するとモーリス・ユトリロは大きく変わったそうです。
画商のいわれるまま絵を描き、ル・ヴェジネという別荘地で暮らし、レジオン・ドヌール勲章を賜り、フランスを代表する画家となりました。