マーク・ロスコはアメリカの画家です
バーネット・ニューマン、ウィレム・デ・クーニング、ジャクソン・ポロックなどと同じく、抽象表現主義の代表的な画家として知られています。
マーク・ロスコはロシア帝国領だったラトビアのドヴィンスクで生まれています。
両親は共にユダヤ人でマーク・ロスコが生まれた年から反ユダヤ暴動のポグロムが盛んになったために、一家はアメリカのオレゴン州ポートランドに移住しています。
マーク・ロスコは奨学金を得て、イェール大学で学びますが中退した後ニューヨークに移り、アート・スチューデンツ・リーグを見学しヌードデッサンの様子を見て美術の世界に入る決心をしました。
しかし2ヶ月で退学し、ポートランドに戻っており劇団で役者修行をしています。
その後、再度ニューヨークを訪れ、ニュー・スクール・オブ・デザインに入学してグラフィックデザインを学んでいます。
それからおよそ8年後にポートランド美術館で初の個展を開催しています。
この頃の作風は、サルバドール・ダリやジョアン・ミロなどの影響を受けた超現実主義でした。
マーク・ロスコが左右対称の構図など独自の作風を確立し、名前が知られるようになったのは美術評論家のクレメント・グリーンバーグなどから高い評価を受けたことがきっかけとなりました。
しかし友人に譲った作品が売りに出されるという事実を知ったマーク・ロスコは、自分の作品は世間に理解されないと考えるようになり、依頼されて制作したシーグラムビルのレストランの壁画の納入拒否し、全額返納したといわれています。
その後、複数の美術館が買取を申し出ていますが、マーク・ロスコはすべての作品を一つの空間で展示したいという意向があったために上手く買取の話が進まなかったそうです。
しかしマーク・ロスコが亡くなった後に結局、世界の3つの美術館に分かれて収蔵されました。
晩年のマーク・ロスコはメニル・コレクションの近郊にあるロスコ・チャペルの壁画制作に取り組んでいます。
この時マーク・ロスコは、壁には自分の作品だけを展示し、他の作者の作品と並べてほしくないと望んだそうです。
その後、大動脈瘤や私生活のトラブルなどの理由で、66歳の時に自ら命を絶ってしまいました。