岡山県出身の明治~昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
正宗家は200余年続いた旧家で、屋号を亀屋といいました。
兄は小説家・正宗白鳥と国文学者・正宗敦夫で、弟に植物学者・正宗厳敬がいます。
はじめは日本画家をめざして上京し、寺崎広業に師事しますが、洋画に転向し東京美術学校西洋画科を卒業しました。
卒業後はヨーロッパに渡り、本場の西洋絵画をアンリ・マティスに学びます。
帰国すると創立したばかりの二科会に参加し、第二次世界大戦後は二科会の重鎮として活躍します。
戦時中の空襲でアトリエと作品を焼失しますが、第二紀会(のちに二紀会となる)を結成し、晩年では富岡鉄斎の研究を行いました。
自身の作品に「生の充実」を永遠のテーマとし制作し、目にきれいに映る色彩表現ではなく、生命感を心で感じられる作品を制作しました。