愛知県出身の日本画家です。
子供の頃から病弱で、美術学校に行くこともできなかったが、日本画壇の重鎮・中村岳陵の画塾に入門し、22歳で日展に初入選するや数々の作品で入選、受賞を果たし、瞬く間に日展の中心作家となり、36歳の時には最年少で日展の審査員に選ばれ、早世の天才日本画家・速水御舟の再来とまで言われるようになりました。
ところが、「現画壇の体制では自由な表現ができない」と独自に悟り、日展及び、師の画塾蒼野社を脱退し、無所属画家としてモディリアーニやデュビュッフェ、さらにポップ・アートなどを自分流に理解した破天荒な画風に転じ、中でも原色の赤を大胆に塗り重ねた作品群や岩絵の具に膠の代わりにボンドを混ぜ合わせたり、蛍光塗料を用いたりと、日本画には収まらない自由で革新的な問題作を次々に世に送り出すようになり、日本画壇から異端児扱いをされるようになりました。
また、映画用の注文作品や雑誌の表紙なども手掛けました。
終生のテーマに「顔」を取り上げ「絵のすべては自画像」「何を描いても自分自身」と考え自画像の作品は「顔」の連作をはじめとして多種多様な顔作品を残し、その作品の中には口から飛び出た歯を持つ顔、曲がった鼻を持つ顔、更には顔の中に違う顔を描いた作品など一目すると奇形な顔の作品も多数制作しています。