愛媛県出身の日本の昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
「自由」をテーマに初期の頃から多数の色彩を用いて制作を行っており、戦後になってからはその色彩がさらに明るくなり、楽しい夢のある画風へと変化し、「魚」「鬼」「昆虫」「星座」「ギリシャ神話」など様々な題材を用いた独特の画風で知られています。
想像上のキャラクターもユーモアあふれるもので、ヨーロッパやアメリカにはない日本のフォービズムを代表する作家として高く評価されています。
晩年には黄色を基調としたバラの作品を多く残しており、油彩画の他にもパステル画なども手掛けています。
生家は大きな塩田を持つ庄屋で、野間仁根が学校へ行くときに自分の土地から一切離れる事なく登校できたといわれるほど大きく立派だったそうで、現在も広大なバラ園が残されています。
そんな裕福な家庭に生まれた野間仁根は、母親とともに上京していますがはじめは画家になるつもりはありませんでした。
叔父の勧めもあり、川端画学校から東京美術学校に進み、在学中から中央美術展、光風会展、二科展に出品を重ね、画家としての頭角を現していきました。
二科展を中心に活躍を見せ、戦後も二科会で活動を続けていましたが、鈴木信太郎らと二科会を退会し、高岡徳太郎らを交えて一陽会を結成し、亡くなるまで制作発表の場としていました。
また、日本画壇きっての釣り師としても有名で「香馬先生釣日記」という著作も知られています。