北海道出身の大正~昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
出身地である北海道小樽をこよなく愛し、地域色の濃い北国の港町の風景をおおらかに明るく表現した作品は高く評価されていますが、それ以上に疎開先であった信州の風景は数多くの秀作を生み出している事で知られています。
14歳で小樽洋画研究所に入所した中村善策は、セザンヌの作品を見て影響を受け、油彩画を始めるようになりました。
本格的に画家を志す事を決意した中村善策は、上京して川端画学校に入学します。
川端画学校で画技を磨き、二科展、一水会、日展などを発表の場とし、数多くの作品を発表してきましたが、当時は戦時中という事もあり、これらの作品はすべて東京のアトリエに置いて、長野県へ疎開する事になりました。
東京に置いてきた作品は東京大空襲によって全てが焼失してしまいましたが、疎開先の信州の風景に魅せられた中村善策は、気落ちする事なくこれまで以上の作品を描き上げていきます。
中村善策は現場主義の画家として知られていますが、東京大空襲の後からはスケッチを行い、そのスケッチをもとに作品の大半をアトリエで制作し、最後の仕上げのみ現場で行うという手法をとるようになっていきました。
これは、モチーフとする風景が東京近辺から信州という気軽に行ける距離ではない事が関係しており、この手法が実際の風景よりも明るく表現する事へと繋がりました。
また、気さくな人柄だったようで、疎開先の長野から東京へ戻った後も、制作活動のため、頻繁に長野を訪れており、昔お世話になった人々と親しく交流を続けていたそうです。