福岡県出身の昭和~平成時代に活躍する日本の洋画家です。
高校2年生の頃から油絵を始め、県展に出品し初入選を果たしました。
卒業後は上京して伊東清永に師事しながら、師の紹介で阿佐ヶ谷洋画研究所に通いました。
日展を中心に活躍し、数々の賞を受賞します。
1963年5月に写生旅行で乗った電車内で後の妻となる良江に出会いました。
電車を降りるときに、自分の二つ前の席に座る良江に、連絡先と画家を目指している事を書いた紙を渡します。
のちに良江からはがきが届き、親交を深め、2年後に結婚をしました。
結婚してからは妻・良江をモデルにたくさんの作品を制作します。
結婚当初は貧しい生活の中、衣裳を買うお金がなく、良江が嫁入り道具として持参した鏡かけをエプロンの代用にして身に着けるなど工夫していました。
夫婦そろって初めてのヨーロッパ旅行に出かけたときに、たまたま骨董品屋で見かけたアンティーク・ドレスに目を奪われ購入します。
これが中山の代名詞でもある「アンティークコスチュームに身を包んだ良江像」を描くきっかけとなり、現在でも描き続けています。
また、小物も最初はイミテーションを使って制作していましたが、画商に一目で偽物と見破られ、それからは小物なども本物にこだわるようになりました。
ドレスや小物のコレクションは合わせて300点を上回る数で、100年以上も前のヨーロッパの本物のドレスを所持しているのは、中山しかいないと言われています。
また、制作するときはモーツァルト、シューベルトなどを聴きながら制作に励んでいるそうです。