長野県出身の彫刻家、画家で、始めは彫刻家として活躍していましたが、友人の藤田嗣治の勧めでフランスへと渡った事をきっかけに、これまでに築き上げてきた彫刻家としての地位を捨て、見事に画家としても成功した事で知られています。
また、日中戦争が勃発すると従軍美術家として戦地に赴いており、積極的に戦争関係の美術展で作品を発表し、陸軍美術協会の発起人に名を連ねていましたが、敗戦後は戦争責任を追及されてしまいました。
そんな中村直人ですが、読み方は「なかむらなおんど」といいます。
山本鼎が提唱した「農民美術」と「児童自由画教育」の二つの運動の発祥の地で少年期を過ごし、15歳の時に山本鼎の世話によって上京し、木彫家・吉田白嶺の木心社に入門します。
ここでは兄弟子・松村外次郎から彫刻の手ほどきを受け、小杉法庵にデッサンを習い自らの作風を築き上げていきました。
院展に初入選をした事をきっかけに連続入選を果たし、日本彫刻界の新進気鋭の彫刻家として注目を浴びるようになります。
中でも木彫刻を得意としており、多くの作品を残しています。
中村の日本での彫刻家としての地位は約束されたものでしたが、友人の藤田嗣治がフランスへ渡った事、若い頃からフランス留学を夢見ていた事から47歳という年齢で心機一転、フランスへ渡るとパリを拠点として画家として活動を始めるようになります。
ただ油彩画や水彩画を描いているのではなく、一度紙を揉み、そこにグワッシュで風景画を描く事で生まれる独自のグワッシュ画を生み出し、パリで個展を開催すると大成功を収め、国際的な画家へと成長したのでした。
帰国後は様々な分野の芸術に取り組んでおり、日本画壇の画家として活躍しました。