東京都生まれの日本の洋画家、美術家、歌人、随筆家。
主な受賞としては文化勲章がある。
大正3年巽画会展に出品した作品「酒倉」が岸田劉生に認められ初入選を果たす。その後岸田劉生に師事し油彩技術の向上を目指し本格的に画業に専念。また、草土社、春陽会、墨人倶楽部などの結成に参加し洋画界に地位を築く。
さらに1975(昭和50)年には文化勲章を受章し名実共に洋画界の巨匠として活躍。
作品は油彩だけではなく、日本画、書・篆刻・陶芸・装丁など多岐にその非凡なる才能を示した。
97歳と長命であったが、晩年まで創作活動を続けた。視力が衰えたため、家政婦に絵具の色の名を大きく書かせ、描く時に見分けたという。絶筆はかねてから好んで描いたバラであった。バラを題材にした作品は判明しているだけで800点を超える。また、遺した美術品コレクションが競売にかけられた際、それまでに判明していなかったがゴッホの油彩画であることが判明した絵画があった。