リオネル・ファイニンガーはドイツ系のアメリカ人画家です。
また、英語読みではライオネル・ファイニンガーとも記されていることもあります。
リオネル・ファイニンガーは表現主義からキュビズムに変化し、独自の作風を生み出したことでも知られています。
リオネル・ファイニンガーはアメリカ合衆国のニューヨークで生まれました。
後に音楽を学ぶ為にドイツへ渡りますが、美術に興味を持ちハンブルク、ベルリンで絵画を学んでいます。
しばらくすると、ベルリンで挿絵画家、諷刺画家として活動していたようです。
その後パリに二年間ほど滞在し、形態の革命といわれているキュビズムに影響を受けます。その後、表現主義画家の青騎士というグループに誘われ、ワシリー・カンディンスキーやパウル・クレーなどと活動しています。
この頃から妻の勧めもあり、版画も制作しています。
後にリオネル・ファイニンガーは、モダニズムを代表する建築家のヴァルター・グロピウスに誘われ、美術や建築の総合的な教育を行うバウハウスで教鞭をとっています。
しかしナチスによってバウハウスは閉校となり、リオネル・ファイニンガーの妻はユダヤ系だった為に迫害を恐れ、ニューヨークに戻っています。
その後リオネル・ファイニンガーは、ニューヨークで大陸の前衛画家として人気が高まり、個展を行うなどの活動をしていました。
また、アメリカ画家彫刻家同盟の総裁にも選出されており、地位も名誉も築き上げました。
晩年の作品はタッチも構図も変わっており、完成させていたクリスタル的なキュビズムから離れていき、いわゆる売れる絵画を制作していたともいわれています。