レオノール・フィニはアルゼンチン人の芸術家です。
シュルレアリスムの運動に参加した女性芸術家の中でも幻想性の豊かな画面で奔放なエロスの表現で異彩を放っているといわれています。
レオノール・フィニはイタリア系アルゼンチン人です。
アルゼンチンの首都であるブエノスアイレスで生まれました。
父は資産家でしたが、暴力が酷かったため、レオノール・フィニが1歳の時に父親のもとからイタリアへ逃げたといわれています。
その後、娘を取り戻そうと誘拐まで試みた父から身を隠すためにレオノール・フィニは少年に変装させられていたそうです。
そのような環境で育ったためか強い自己意識と感受性を持つ早熟な少女に成長していきます。
また幼少期から絵が好きでスケッチや落書きを行っていたそうで、思春期には死体に興味を持ちデッサンのために死体置き場に通い、解剖書に夢中になっていたようです。
その後、短い間でしたがエドモンド・パッサウロに師事しており、その他では専門的な美術教育を受けてはいないとされています。
油絵を描き始めグループ展に参加するとミラノの大臣家族の肖像画を描くという初の注文を受けています。
グループ展の翌年からミラノに拠点を置き、個展を開催したり、展覧会に出品するなどしています。
この頃はロンバルディア派やフェラーラ派の絵画、マニエリスムの絵画などに親しんでいました。
その後レオノール・フィニはパリを訪れています。
パリではマックス・エルンストやピカソなどの芸術家と知り合いますがどのグループにも所属する事を嫌がっていたそうで、特に女性芸術家をミューズとして崇めるシュルレアリスム運動は女性の自立性を否認しているという矛盾点を見抜いていたといわれています。
また、画家としての活動の他にもアクセサリーや衣服、香水のボトルなどのデザインもしています。
戦争が始まった時期は自身の個展や展覧会を行う他にもミラノの貴族や友人の肖像画を数多く制作しており、ローマに渡った時も多くの芸術家達と出会い、自身の本を出版したり、舞台芸術の仕事にも携わっています。
パリに戻り、自由な愛の形を選び複数の仲間と共に生活しています。
中でも、スタニスラオ・レプリとコンスタンティン・ジェレンスキーは、両者が亡くなるまで共に暮らし、レオノール・フィニが肺炎を患いこの世を去るとレプリ、ジェレンスキーと共に埋葬されています。
レオノール・フィニの作品は神秘的なエロスを優美で女性的なイマージュの中に感じる事が出来るといわれており、作中に出てくる男性像はどこか中性的で眠っているように描かれていている特徴があり、これをサディズムや魔女的などいわれていますが、その独自の作風と職業はレオノール・フィニ以外にはいないと高い評価を受けています。