レンブラント・ファン・レインはオランダの画家です。
17世紀を代表する画家で、光と影の魔術師などの異名を持つことでも知られています。
また油絵だけではなく、エッチングや複合技法による銅版画やドローイングにも優れていたそうです。
レンブラント・ファン・レインはオランダのライデンで中流階級の粉屋の子として生まれています。
7歳くらいの頃にラテン語学校に学び、飛び級でライデン大学に入学する許可を受けました。
両親はレンブラントに法律家になってほしいと願っていましたが、レンブラントのライデン大学での在籍期間は短く、ほどなくして画家を目指しています。
その後レンブラントは、歴史画家のヤーコプ・ファン・スヴァーネンブルフに師事しています。
レンブラントは絵画技法や解剖学を3年程学んだ後に、当時最高の歴史画家として知られていたピーテル・ラストマンに師事しており、カラヴァッジョ派の明暗を用いる技法やバロック様式を学びながら描写力向上に努めた後に独立しています。
ライデンで独立し、ヘリット・ダウなどの有能な弟子を育てた後にアムステルダムへ移住すると「デュルプ博士の解剖学講義」で地位を確立しています。
その後、裕福な美術商の娘と結婚すると大規模な工房を構え、弟子たちと共に数多くの肖像画、神話画、宗教画など多くのジャンルを手掛けています。
この時期は弟子たちが制作しサインのみをレンブラントが施したという作品も存在することが判明しています。
レンブラントの物語性の高い作品は高評価を得ましたが、作中の登場人物に統一性が無い事で依頼主から不評を買い、注文が激減した後に失脚したという逸話がありますが、実際にはレンブラントの散在やオランダの急速な景気の低迷と家政婦との女性関係が理由だとされています。
その後レンブラントは身内の度重なる不幸もあり、自身の自画像作品には内面的傾向がはっきりと表れています。
晩年のレンブラントの作品はコジモ3世が作品を購入していますがレンブラントの人生は好転してはおらず、娘と年老いた家政婦の3人で生活しており、一日の食事はパン、チーズ、ニシンの酢漬けのみという記録があり、とても質素な日々を送っていた事が考えられます。
レンブラントの作品はレンブラントがこの世を去ってから再評価され、レンブラントの物語性の高い、明暗をスポットライトで照らしているかのように表現する作品は現在、国際的に高く評価されています。