京都府出身の大正~昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
フランスでヴラマンクに師事していた事からヴラマンク譲りの奔放な筆致、明暗の強い対比を見せる表現の作品を展開し、日本のフォービズムの巨匠と呼ばれています。
また、著作も残しており、『ヴラマンク』『異端者の奇蹟』『赤と緑』『画魂』などが有名です。
実家は京都で医者をやっており、画家とは無縁の環境で育った里見勝蔵でしたが音楽家を志していた時期もありました。
後に音楽評論家となった野村光一と東京美術学校日本画科出身の鈴川信一に図画を学んだ事で関西美術院に入りました。
関西美術院では鹿子木孟郎に指導を受け、デッサンなどを学び東京美術学校へ入学し、長原孝太郎にデッサンを、小林万吾、藤島武二、黒田清輝に油彩画を学びました。
この頃は安井曽太郎を最も尊敬し、セザンヌにも傾倒していた里見勝蔵ですが、フランスへ留学し、マチス、ドラン、ブラック、ヴラマンクらフォービズム隆盛期のパリ画壇から刺激を受け、ヴラマンクに師事しました。
ちなみに佐伯祐三にヴラマンクを紹介した事でも知られています。
帰国後は京都を拠点に二科展に出品を続けていましたがフランス留学中に交友のあった前田寛治や佐伯祐三らと一九三〇年協会を設立し、第5回展まで続け解散とした際、二科会も脱会しました。
その後、児島善三郎、林武、三岸好太郎らと独立美術協会を創立しますが、上京すると独立美術協会を退会し、以後、どの美術団体に所属する事なく制作活動を続けました。
しかし、まったく雰囲気の違う国画会の会員となると毎年出品を続け、作品を発表し続けました。