大正~昭和時代前期に活躍した日本の洋画家です。
300年間19代続いた大地主の家に生まれましたが、父の代で没落してしまいました。
幼い時から絵が上手く、栃木中学校在学中に描いたビスマルクの肖像画(鉛筆画)が明治天皇に献上されたと言われています。
その後、士官学校の試験に落第し、画家を志し、アメリカで働きながら絵を学び、念願であったフランスへ渡りました。
パリに着いてからは、在欧日本人や、かの地の画家達を問わず、実に旺盛に交流し、勤勉でまじめな性格であった為、画家仲間が帰国する時に決まって開かれた日本倶楽部での送別会にまめに顔を出していました。
また、アメリカでの生活が長かったので英語は堪能でしたが、フランス語の家庭教師を付け勉強をしたそうです。
帰国後、渡欧した画家だからといってすぐに絵が売れた訳ではなく、知り合いに金銭的援助を頼み、パトロン探しに多くの手間と時間を費やし、展覧会の予定を先へ先へと入れ、ノルマを達成するように着々とこなし、訪れた土地では絵の好きそうな医者や資産家を訪ねては肖像画を制作し、時間さえあれば販売用の色紙絵を描き、資金を作っていました。
独立美術協会の創立に参加し、その中心メンバーとして活躍し、日本的な主題に取り組むと共に中国や東南アジアをも旅し各地の人々や風景、さらには日本軍の作戦行動を記録する作品を描き、疎開先の実家で亡くなりました。