明治~昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
幼い頃から父と別れ、母の手一つで育てられ、小学校卒業後は鉱山関係の仕事に就いていました。
工学士を夢見て上京しますが、洋画家・山本芳翠との出会いがきっかけで洋画家を志すようになり、山本が主宰する生巧館画塾で学び、のちに黒田清輝の天真道場で外光派と呼ばれる明るい色調の絵画を学び、東京美術学校西洋画科に入学し、卒業後は渡米、渡仏し各地で油彩とともに多数の水彩画も描き、帰国後は大森にアトリエを構えて、文展、帝展などで精力的に出品し、活躍しました。
昭和に入って明治神宮外苑の聖徳記念絵画館の壁画を担当し「ポーツマス講和談判」を作成しました。
温雅で品のある府警がや肖像画、静物画を多数残しています。