埼玉県出身の昭和時代に活躍した日本の洋画絵です。
司馬遼太郎の『街道をゆく』の挿絵を描いた画家として世間では広く知られており、幅広いファンがいる事で知られています。
須田剋太の作風は力強い奔放なタッチが特徴で、初期の頃の作品はオーソドックスな具象の世界を表現しており、抽象的な画風で知られた長谷川三郎と知り合い意気投合してからは抽象画を表現し、最終的には具象へ回帰した作品を展開しています。
須田剋太の本名は勝三郎といい、ゴッホと写楽に夢中になった事がきっかけで画家になる事を志します。
東京美術大学を受験しますが失敗し、4度受験しても合格する事はありませんでした。
こうして独学で絵を学ぶ事にした須田剋太の才能に注目した寺内萬次郎が光風会展や官展への出品を勧めた事をきっかけに数々の展覧会に出品するようになります。
そして新文展や日展で特選となり、国画会では会員となるなど活躍を見せました。
司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の取材旅行に同行し、この間に膨大な数の風景画などのスケッチや作品を残しており、亡くなってから油彩画45点、グワッシュ320点、挿絵1858点の合計2223点の作品が大阪府に寄贈されており、画家としての生涯で膨大な数の作品を手掛けた事が分かります。
ちなみに『街道をゆく』で担当した挿絵は後に、第14回講談社出版文化賞を受賞しています。