京都出身の昭和~平成時代に活躍した日本画家です。
本名は澁澤瑩俊(しぶさわ えいしゅん)といいます。
大伯父に日本画家・和田三造がおり、小さい頃から大伯父のように歴史に残るような人物になろうと思っていて、政治家か科学者になろうと決めたのですが、部活が忙しく、勉強が遅れてしまい、消去法で大伯父と同じ画家としての道を志そうと東京藝術大学の油画科を受験しようとするも「男たるもの食えない仕事はするな」と親父に反対され大伯父の和田三造に「これからの時代はデザインが重要になる。まずはその勉強をして、それでも絵がやりたいなら描けばいい」と言われ、デザイン専攻を受ける事にしました。
卒業後は高島屋のデザイナーとして就職し、初の個展を開き、当時は抽象画的な作品が主でした。
のちに日蓮宗僧侶となり、修行に励み僧侶としての独自の世界観を絵画に表現するようになり、誰にでもよくわかり観る人それぞれが共感できる作品を描く風景画家に転じ「描く坊主」としても有名になり、横浜六浦上行寺副住職も兼任しました。
澁澤は大理石などの粉末を塗り込めた下地に墨を引いたのち、岩絵具とアクリル絵具の混合技法で、独自の構築的で重厚かつ精緻な画面で、京都や奈良などの古都にある寺院を、四季折々に訪ねて描いたシリーズを制作しました。
骨髄腫を再発してからは、病気のせいで背骨がつぶれてしまい座っているのも辛い状態で、また、薬の副作用で強烈な吐き気もある中、制作を続け、退院後は「3.11きずな展」で震災チャリティーオークションの絵を描き、最後まで画家として貫き通しました。
自宅の玄関には大伯父・和田三造の南画風の絵が飾られています。