長野県出身の昭和~平成時代に活躍した日本画家です。
本名は九壽男(九寿男・くすお)といいます。
幼い頃に母親と死別しており、伊藤深水の美人画に母の面影を感じ、画家になる事を決意し、同郷の画家丸山晩霞の紹介により伊東深水に入門して画を学びました。
院展、文展に相次いで初入選を果たすと、連続して出品するようになり、数々の受賞を重ねました。
描写力はもとより構成力、色彩感覚にも優れ、師深水の画風をよく継承した美人画を得意とし、小品の作品では花図などにも秀作を残しており、長野冬季オリンピック誘致にはオリンピックICOサマランチ会長に長野県の要請で美人画を贈呈して話題となりました。
晩年では脳梗塞によって画家の命である右腕が動かなくなりますが、左手で作成する事を決め、最後まで画家として活動する事をあきらめなかったその姿がNHKの全国放送で特番として放映され、多くの障害者に勇気を与えました。