富山県出身の昭和~平成時代に活躍する日本画家です。
動物や鳥類をモチーフに自然との対比をシルクスクリーンの画法を用いて表現し、詩情あふれる幻想性と独自のダブルイメージの手法によって日本画の可能性を追求した作品で知られています。
また、一瞬の自然の風景を見逃さず、生命の強い絆や力を表現する華やかなだけではない真実を切り取る作品などにも定評があります。
海外の美術探索も数多くこなしており、外遊数は10回以上を数えるほどで日本画家でありながら無類の洋画好きでも知られています。
そのため、作品は日本画でありながらどことなく洋画のような雰囲気を持っており、日本画家の新鋭として注目されています。
画家を志して上京した下田義寛は、東京藝術大学に入学して大学院まで終了し、大学を卒業すると郷倉千靱に師事して日本画の基礎を磨いていきました。
院展に出品するようになると数々の賞を受賞するなど若くして日本画家としての頭角を現します。
それは38歳という若さで日本美術院同人に推挙されるという事で、これからの活躍が期待されました。
しかし、モチーフの一部として描いた鳥などが他人の写真を無断借用していたと問題になり強いバッシングを受け、日本美術院へも同人・評議員への辞任届を提出し、作品発表を控えるようになります。
再起不能とまで言われた下田義寛でしたが、そこで画家として活動を終える事はなく、2年後には復帰第1作として第74回院展に「柿田川」を出品して注目を集め、見事日本画家として復活を果たしました。