兵庫県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の洋画家、版画家です。
本名は貞三といいます。
大阪美術工芸学校に入学しますが、病気のため中退しました。
その後、阪急電鉄宣伝課で商業のデザインの仕事に就き、プロ野球の阪急ブレ-ブスのマークなどを制作したりするなど活躍しました。
12年間勤めた仕事を辞め渡仏し、日本画を学んだ経験から生み出される、東洋的なエキゾティシズムをたたえた作品はパリの美術界で高い評価を得るようになります。
はじめはアンフォルメルの影響を受けた造形文字のような形態を描いていたが画風が一変し、幾何学的な形態を明快な色彩で描いた「オートルート」シリーズを制作するようになりました。
無類のスピード狂で、愛車のポルシェで高速走行している時に浮かぶビジョンが制作のモチーフになっており、よく車に乗っていたそうです。
しかし、その危険な行為はパリの郊外で交通事故を起こし、頸部骨折の重傷を負ってしまいました。
事故を起こしてからは円と直線の組み合わせからなる、単純化され、無駄をはぶいた作品を描くようになり、それはどこか道路標識のようにも見えました。
晩年には「S」字のシリーズを描き続け、Sの由来はスガイのSや高速道路のカーブを意味しているそうで、同じパターンのを描き続ける事に個性があると考え、たどり着いた画風でした。
そして、同じパターンを繰り返す行為は食生活にも影響しており、朝、昼、晩とそれぞれ同じメニューを1年365日、20年間食べ続けたそうです。