フランスのモンマルトルの女性の画家として知られており、画家モーリス・ユトリロの母親です。
画家となる前はエドガー・ドガやルノワールといった著名な画家のモデルをつとめていました。
本名はマリー・クレマンティーヌ・ヴァラドンといい、シュザンヌという呼び名は当時恋人であったロートレックが、仲間の画家たちのモデルを辞めない事に嫉妬し、旧約聖書の中で2人の老人に水浴を覗かれる「シュザンヌ」という女性の名からとったもので、画家となった時に本名ではなく「シュザンヌ」を名乗るようになったのです。
シュザンヌは母親が一晩相手をした男との間に生まれた子供で、生まれた時から貧しい家庭環境にありました。
そのため10代の頃から様々な職に就き、憧れだったサーカスのブランコ乗りとなり、その美貌で人気となりました。
しかし、ブランコから転落し、ブランコ乗りを続けられなくなるとサーカスの仲間に紹介された画家のモデルとして活躍するようになります。
シュザンヌの母親がそうであったように、シュザンヌ自身も生まれ持った美貌で男たちを惑わし、多くの画家たちがモデル以上の関係を持ったといいます。
そんな中、誰の子が分からず18歳で男の子を出産します。
この男の子はのちにモーリス・ユトリロという画家として活躍しますが、母親がユトリロの育児を放棄し、色恋に溺れていた事でユトリロは精神的に不安定となってしまいました。
一方、シュザンヌは画家のモデルをつとめる事で自分も画家を志すようになり、見よう見まねでデッサンを始めます。
そのデッサンがエドガー・ドガに気に入られ、彼から油彩と版画を学ぶようになります。
こうして、画家としての一歩を踏み出したシュザンヌは男性では表現する事のできない等身大の裸婦像を描くようになります。
その後、お金と安定した制作活動を手に入れるため資産家と結婚し、ユトリロの親友アンドレ・ユッテルと出会った事で激しい恋に落ち、離婚を決意し、のちのアンドレ・ユッテルと再婚します。
ちなみにアンドレ・ユッテルとは20以上も歳の差があり、ユトリロは母のこうした行動で更に人間不信となってしまったそうです。
アンドレ・ユッテルとの出会いはシュザンヌの作品に大きく影響を与えており、より官能的でどこか解放感のある作風へと変化し、アンドレ・ユッテルをモデルにした「アダムとイヴ」「網を打つ人」は彼女の代表作となりました。