19世紀に活躍したフランスの画家です。
写実的な絵画に光や明るい色彩を取り入れ、のちの印象派の画家たちに大きな影響を与える画風で知られており、情緒あふれる森や湖の風景画を残しています。
生涯フランス中を旅して周り、イタリアにも3度ほど旅行にでかけています。
そのため、制作された作品のほとんどが風景画ですが、リウマチで動けなかった時期には人物画を描いており、『真珠の女』という傑作を残しています。
パリの裕福な織物商人の家に生まれ、両親はコローに家業を継いでもらいたいと考えていました。
コローは画家になる夢を胸に仕舞い、家業を継ぐために織物問屋として修行を積みます。
しかし、画家になる夢を諦める事ができなかったコローは両親を説得し、画家としては遅いスタートとなりましたが、当時のアカデミックな風景画家として知られていたアシール=エトナ・ミシャロンに師事しました。
しかし、ミシャロンに師事してわずか数か月でミシャロンは亡くなってしまい、ミシャロンの師であったジャン=ヴィクトール・ベルタンに師事しました。
ベルタンは大きな画塾を構える当時のフランス風景画の第一人者として知られており、コローはベルタンのもとで風景画の基礎をしっかりと学びました。
コローの作品は理想化され風景ではなく、フランス、イタリアのありふれた風景を描いた作品が多いのですが、後年になると画面全体が霞がかった独特の色調の風景画を描いており、現実の風景の写生を土台にした想像上の人物を描いた叙情的な風景画を描くようになります。
このような風景画のタイトルには『モルトフォンテーヌの思い出』のように「~の思い出」と付けられています。
また、ミレーやルソーなどと親交もあり、バルビゾンで作品を制作する事も多く、バルビゾン派の一人として数えられており、晩年にはドーミエなど貧しい画家やモデルなどに援助していた事から、多くの画家たちに慕われていました。