フルネームはスチュアート・ファーガソン・ヴィクター・サトクリフといい、愛称は「スチュ」と呼ばれ、ザ・ビートルズがデビューする前にベースを担当していたメンバーとしても知られています。
スコットランドのエディンバラ生まれで、母親は美術教師をしており、幼い頃から美術の才能に秀でていた事で、16歳という若さで美術大学であるリヴァプール・カレッジ・オブ・アートに進学しました。
スチュアートはルックスもよく、画家としての実力にも優れていた事から学校でもスター的存在で、在学中にジョン・レノンと出会い共同生活をするほどに親しくなりました。
その仲の良さは同性愛を疑うほどで、ポール・マッカートニーが嫉妬するほどだったといいます。
スチュアートは元々楽器は弾けませんでしたが、自分の絵が展覧会に出品した際に売れた事をきっかけにジョンやポールに勧められ、ベースを購入します。
こうしてビートルズのメンバーとして加入し、ドイツのハンブルクへ渡り、バンドとしての活動を始めます。
ハンブルクではスチュアートの画家としての才能を刺激するものが多く、彼はバンド活動よりも画家としての道を歩みたいと強く思うようになります。
これはバンドが嫌いになったわけではなく、メンバーとしてではなく、アート面でビートルズというバンドを支えたいという気持ちの表れでもありました。
こうして画家として活動する事を伝え、ビートルズを脱退しますが労働許可証不所持などを理由に退去命令を受け一度帰国しました。
すぐにハンブルクに戻ると初めてハンブルクに居た時に出会った写真家アストリッド・キルヒャーと恋人同士になっていた事から、彼女の実家の屋根裏部屋をアトリエとし、ハンブルク州芸術大学に編入して画家としての創作活動を開始します。
しかし、ほどなくしてひどい頭痛に悩まされる事になります。
医者にかかりますが、「偏頭痛」と診断され、その診断に疑問を持ちながらも頭痛に耐え体調の良い時には制作を行っていましたが、容体が悪化し、脳出血で21歳という若さで亡くなってしまいました。
その死に疑問を持ったスチュアートの妹・ポーリーンはスチュアートの死因を解析するために検死を依頼します。
その結果、頭がい骨に陥没が生じ、それが原因で脳出欠に至ったと判明し、これはスチュアートが大学で喧嘩した際に頭を強く打ち付けたことが要因ではないかといわれていますが、そこまでの真相は定かになっていません。