ジャスパー・ジョーンズはアメリカ出身のポップアートの先駆者として知られており、戦後の芸術家の中でも最も重要な人物の1人に数えられています。
ジャスパー・ジョーンズはアメリカショージア州オーガスタ出身で幼い頃はサウスカロライナの田舎で育ち、サウスカロライナ州立大学で美術を学び、20歳前後でニューヨークに出ましたが徴兵により陸軍に入隊しています。
兵役中は日本の仙台市にも半年間駐屯していました。
除隊後はニューヨークに戻り本屋などでアルバイトをしながら商業美術学校に通いました。
また翌年にティファニーのウィンドーディスプレイの仕事も行っています。
その後にアートディーラーのレオ・カステリ認められ一気に美術業界に躍り出ました。
国旗、数字、文字、地図、標的などをモチーフとした作品を発表したことでニューヨーク美術界に衝撃が走り、ポップアートの道を開きました。
1970年代になると敷石などをモチーフとした抽象様式となり1980年代に入ると人のシルエットなどの新しいモチーフが生まれ、「四季」シリーズを発表しました。
また、ブロンズを使いビール缶を本物と瓜二つに鋳造し、色が加えられた彫刻も制作しています。
ジャスパー・ジョーンズの作品は油彩ではなく耐光、耐水、耐酸性に優れる蜜蝋を使ったエンコスティック技法と呼ばれる美術史上最も古い技法を用いました。
この蜜蝋をキャンパスに直接塗る訳ではなく、キャンパスに新聞紙などを貼り付け、その上から蜜蝋を塗り重ねていきます。
そうすると地となった新聞の文字がぼんやりと透き通って見える作品になります。
また、速乾性にも優れた蜜蝋は画面に滑らかな凹凸を生み出します。
その他にも日本の千利休の思想に似ているような作風で芸術とは無縁の日用品を芸術品に変えるユニークな感性を楽しむことの出来る彫刻や、モチーフに日用品やオブジェなどを取り入れた静物画もあります。